ただの主婦だった私が起業した理由。

既婚、二児の母。旦那と4人家族。

はたから見れば、一見幸せそうな家庭に見られるかもしれない。

主婦って聞こえがいいかもだけど、無賃で働くヘルパーみたいなもん。

私のささやかな楽しみは、こっそり食べるチョコモナカジャンボくらいで。自由な、時間もお金もない生活を送っていました。

こんな私がなぜ今こうして起業したのか。

母の願い

亭主関白な父との離婚後、障害のある姉を連れて小さなアパートで二人暮らしをしていた母。

母は60代でも仕事をしながら、夜遅くに半額になった食品を買うなど、節約生活を送っていました。自分が亡くなったとき、姉が経済的に苦労しない様にと贅沢せず生活しようと決めているのだそうです。

母は私にも苦労させてしまうかもと、「りかちゃんごめんね。」と自分が何か悪い事をしたかのように謝ってくるのです。

母に工面もできず、親孝行もできない私。

母は「いつかハワイに行きたいな」と、旅行パンフレットを集め、うれしそうに眺めていました。

決意

歳をとってからも苦しい生活をしている母。

会いにいけば必ずお腹いっぱい食べさせてくれ、何かひとつでも持たせてくれる。

私が幼ないころから父にきつく当たられ、家事育児にずっと苦労してきた母。一度くらい贅沢してほしい。

私ができることは 主婦の立場から抜け出し、仕事をする。

2年後には母をハワイに連れて行こうと決意したのです。

そこで働いたのが、今の私に生きがいになる仕事となるわけですが、当時は息子の就学前から仕事を始めることへの不安や、家族への後ろめたさを感じながら働いていました。

でも、母をハワイに連れて行く、という想いは変わりませんでした。

突然の死

仕事は覚える事が山ほどあって、その中でもヨガインストラクターのお仕事は思った以上に大変。

社会に出た私は、自分でも誰かの役に立てることにやりがいを感じ、働く事が楽しくなっていました。

ただ思った以上に稼げない。パートで働く賃金ではなかなか貯まっていかないのが現実。

コツコツ貯めていくしかないなと、地道に頑張ろうと思っていた矢先。

母は突然亡くなってしまったのです。

母に会いたい

母親をハワイに連れていくという夢のために始めたお仕事。

母を失い、深い後悔と悲しみで心が苦しくどうしようもなく寂しい。

父より1歳でも長生きする、なんて言ってたのに。69歳で亡くなってしまった母。

母がハワイに行きたいな、と言ったとき連れていける私だったら、、、

「いつか」は「今」でなければ間に合わない。人は不平等。

信念があるからやっていける

母を失った悲しみと後悔を通して、私が強く想うのは

「後悔して、心に穴をあけたまま過ごしていく人が一人でも減ってほしい」

という強い願い。

「後悔のない人生を送る」

そのために、一生懸命自分の技術を磨き、知識をつけ、日々研究と実践に励んでいます。

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