49歳、甘えたい日に突きつけられた「壁」

誕生日に泣く

2025年3月19日。49回目の誕生日を迎えた朝。

私にとって、誕生日は特別な魔法が使える日。一年頑張った自分へのご褒美。周りのみんなから「おめでとう!」のシャワーを浴びて、少しばかりわがままを許される、そんな甘い妄想を抱いていました。

しかし、現実はいつも私の都合の良いようには回ってくれない。

早朝のトレーニングで待っていたのは現実はそんな甘くないという現実。

出された課題。それは、4月に控えた新しい提案に向けての準備。学校で教えてもらったように、宿題の答えを書いて提出する、それ以外深く考えようなんて思いもしませんでした。

一緒にスタートした仲間は課題の本質を理解し、宿題の答えだけではなく、答えについてプレゼンできるようセルフプロモーションまで考えてきたのです。

「私は何を聞いていたんだろう?」「一体、何を間違ってしまったんだろう?」

普段の生活では、しっかりしてるね!なんて言われることが多くって、できる女と思い込んで有頂天になってたんだ。私ってこんなにもできが悪い自分だったんだ。

周りとの差に落胆するばかりで次に何をすればいいのか、全く見当がつかない。まるで、深い深い暗闇に一人取り残されたような、そんな絶望的な気持ちに襲われました。

誕生日という特別な日に、なぜこんなにも打ちのめされなければならないのか。祝福されるはずの日に、なぜこんなにも孤独を感じるのか。

「もう、こんなチャレンジ苦しすぎる…。」

心の奥底から、弱音と諦めの言葉が溢れ出してきました。

甘えを許さない現実と、見えない未来への不安

49歳。人生の折り返し地点を過ぎ、少しは肩の力を抜いて、甘えてもいいんじゃないかと思っていました。頑張ってきた自分を労い、周りの温かい言葉に包まれたい。

でも、現実は甘くない。師匠の言葉は、私を優しく包むどころか、冷たいナイフのように突き刺さりました。

「準備が一番。」

そのシンプルな言葉の奥には、一体どれほどの意味が込められているのだろうか?

何をどれだけ準備すればいいのか、準備してもまだ足りない。答えを出しても出しても解けない。

この苦しみにずっと耐えなければならないのか?

過去の私は、壁にぶつかるたび乗り越えれず諦めてきました。今回もまた、暗闇の中に身を潜め、なかったことにしてしまいたい衝動に駆られます。

葛藤の誕生日、それでも立ち止まれない理由

誕生日という特別な日に、情けないほど打ちのめされた私。

それでも、心のどこかで諦めきれない自分がいるのも事実です。

過去の私と同じように、ダイエットに苦しみ、自信を失い、自分の人生を諦めているママたちを救いたい。その想いは、消えかかる炎のように、まだ小さく灯っています。

この苦しみを乗り越えた先に、本当に誰かの笑顔が見られるのだろうか?

今はまだ、その答えは見えません。

ただ、また諦めてしまえば、なんにも変わらないことだけは分かっています。

49歳の誕生日。それは、甘えたい気持ちと、現実の厳しさに引き裂かれる、苦しい始まりとなりました。

それでも、私は明日へ向かって、一歩踏み出さなければならない。

見えない未来への不安を抱えながら、それでも、光を求めてもがき続けるしかないのです。

この葛藤の先に、一体どんな未来が待っているのだろうか。

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