私の日常が変わった日<エピソード1>

地方でヨガインストラクター、スポーツトレーナーのお仕事をする、アナログ育ちの昭和女子です。

今は落ちついたかのようなそぶりで立ち振る舞っていますが、現状はちっとも落ち着いてない。

常に熱い鉄板の上に裸足で立っているような状況。

それもこれも”直感”で生きてきたからかもしれません。

生い立ち

1976年。桜が開花し始める頃、おぎゃーとこの世に誕生しました。

障害のある姉と末っ子長男の間にいる私。

「手が掛からない子」というより「手を掛けないでいい子」だったような。

勉強は苦手で、なんかよく居残りしてたなあ。同級生からは「体育と音楽と図工が得意な子」と認知されていたんじゃないかな。

高校は女子高で、「羞恥心」という感覚が麻痺した3年間を過ごしました。

とはいえ、お友達とのすれ違いや勘違いで神経性胃炎になったこともあります。

案外ナイーブな私。

夢中になるものがほしかった私。

そして人とはちょっと違うことをしたくなる私。

ソフトテニス部に所属しながら、硬式テニスをやる、という異例を学校に認めてもらい活動していました。

大学は女子大で硬式テニス部に所属し、入学式も出ず、試合部活試合部活試合・・の日々を過ごし、真っ黒な青春を送ります。下宿していたので食生活は乱れ、この時期は人生2大ピークの体重でした。

テニス漬けの毎日でも、なかなか上達せず、腐って横道にそれて台湾人と付き合ったこともありました。劉君、元気かな・・・

卒業後は職を転々とし、エステティシャン、営業事務、秘書、庶務、、

興味がわいたことは試してみるの精神で、北海道一周旅、沖縄一周旅、ラスベガスでカジノ、プーケットでシュノーケル。

もちろん一人でいったわけではなく、奇特な友人がいつも同行してくれました^^

こんな私を拾ってくれたのが、今の旦那様。

石橋を叩いても渡らない、超慎重な性格。

そんな慎重派な人が、よくぞ私を受け入れてくれたと感謝。

おかげで主婦として、家事育児に一生懸命奉仕しようと思ってやってきました。

・・・と、ここまでが、これまでお話してきた私の自己紹介です。

え?ヨガインストラクターの話はまだかって?(笑)

そうなんです。人生、本当に色々ありまして。紆余曲折、寄り道だらけ。 でも、その一つ一つの経験が、今の私に繋がっているんです。

専業主婦として数年が過ぎ、子供たちが少し大きくなった頃、「何か新しいことを始めたい」という気持ちが芽生えました。 もともと体を動かすことは好きだった私は、スポーツクラブで働く事となります。

インストラクターになってからは、想像していた以上に大変なことの連続でした。 集客、レッスン内容、自分のスキルアップ・・・ 悩みは尽きませんでしたが、様々な経験を通して、少しずつ成長していくことができました。

この続きは2話で。

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